日本で働く・暮らすネパールの人々~イギリス軍への夢から日本へ:ネパール人留学生の挑戦と成長の物語~

第1部:日本とネパールをつなぐ、ある留学生のストーリー

プロローグ:23万人のネパール人が見つめる日本

出入国在留管理庁によると、2024年末時点で日本に在留するネパール人は約23万人。これは在留外国人全体の約6%を占める数字です。さらに、在留資格構成を見ると、「留学」資格の割合は全体平均12%に対し、ネパールは37%と非常に高く、総数でも約85,431人で中国に次ぐ第2位となっています。

このように、日本で学び、働きたいと考えるネパール人留学生は年々増えています。しかし、多くのネパール出身者が日本でどのような経験をし、何に困り、どのように成長しているのかを知る機会は多くありません。

ネパールで抱いたイギリス軍への憧れ。その道は叶わなかったものの、一度は海外へと向いた視線は、叔父からの誘いをきっかけに日本へと注がれます。来日後、留学生として言葉の壁や経済的な困難に直面しながらも、数々の出会いと自身の努力で道を切り拓いてきました。

現在は、かつての自分と同じように日本で奮闘する留学生たちを支えるため、日本語学校で働くホムさん。日本語学校、大学、病院と日本での様々な出会いを通して得た学びと、未来への熱い想いを伺いました。

第1章:自分が困った経験が、今の仕事の原点に

「自分が日本語学校の学生だった時に、困った経験がたくさんあったからです」大阪の日本語学校で働くホムさんは、2023年から現在の職場で学生たちをサポートしています。大学を卒業後、医療事務等の経験を経て今の学校にたどり着きました。

――本日はよろしくお願いいたします。まず、ホムさんの現在のお仕事について教えてください。

ホム: 今は大阪の日本語学校で仕事をしています。2023年からなので、働き始めて2年くらいになりますね。

――以前は別のお仕事をされていたのですか。

ホム: はい。大学を卒業してはじめは医療事務をしていました。2年半くらい、受付や先生の補助として、処方箋の入力などを担当していました。その後、別の日本語学校で1年ほど働いてから、今の学校に来ました。

――医療事務から日本語学校へ、というのはユニークな経歴ですね。なぜ日本語学校で働こうと思われたのでしょうか。

ホム: 自分が日本語学校の学生だった時に、困った経験がたくさんあったからです。もし、学校にネパール人の職員さんがいて、進学や就職のことで相談にのってもらえたら、どんなに楽だっただろうかと。

自分が困った経験があるからこそ、学生たちの悩みを解決する手助けがしたい、進路のサポートがしたいと思ったのがきっかけです。また、家族との時間をもっと大切にしたいという思いもあり、決められた時間で働く事の出来る仕事を選びました。

第2章:イギリス軍への夢と、月給5,000円の現実

ネパールの若者にとって、イギリス軍への入隊は憧れのキャリアパスのひとつです。ホムさんも高校生の時に応募しましたが、一次試験は通過できたものの、最終的に夢は叶いませんでした。

――ホムさんが日本に来ようと思ったきっかけは何だったのでしょうか。

ホム: もともとは、イギリス軍に入隊したかったんです。特に、私の出身民族であるモンゴル系のコミュニティでは、大きなステータスのひとつでした。私も高校生の時に応募しましたが、一次試験は通過できたものの最終的に夢は叶いませんでした。

ただ、海外に出たいという気持ちが強くなっていたため、ネパールで働くという気持ちにはなれませんでした。そんな時日本で働いていた叔父から「日本に来てみないか」と声をかけられたんです。

――それが日本との出会いだったのですね。

ホム: はい。ネパールにいた当時、私は海外渡航者の健康診断をする医療機関で働いていましたが、給料は月5,000円ほどでした。15年くらい前の話ですが、交通費と昼食代でほとんど消えてしまう金額です。このままでは将来結婚して家族を持つこともできないと思い、日本で頑張ってみようと決意しました。

――日本に対しては、どのようなイメージを持っていましたか。

ホム: 日本製品は丈夫で品質が高いとネパールでも評判でしたし、私の地元では日本の看護師さんたちがボランティアで活動されていて、その優しさや丁寧さに触れる機会がありました。日本人に対して、とてもいいイメージを持っていました。

第3章:日本で直面した「3つの壁」——医療・アルバイト・ことば

来日後、ホムさんは日本語学校で学びながら、工場でアルバイトをしていました。しかし、腰を痛めてしまった時、病院に行くことへの不安が襲ってきました。問診票も書けない、何をどう伝えればいいかも分からない。周りの先輩たちに聞いても、誰も病院に行った経験がなかったのです。

――具体的には、学生時代にどのようなことで困った経験があったのですか。

ホム: 生活する中で一番困ったのは、病院です。体調が悪くて病院へ行こうと思っても、まずどこの病院に行けばいいか分からない。問診票も書けないし、先生に何をどう伝えれば分かってもらえるのかも不安でした。

――言葉の壁は大きいですよね。

ホム: それに、「お金がたくさんかかるんじゃないか」という心配もありました。日本語学校に通っていた2年間、工場でアルバイトをしていたのですが、腰を痛めてしまって。それでも、病院に行くのが怖くてずっと我慢していました。周りの先輩たちに聞いても、誰も病院に行った経験がなかったんです。

――行ってみて、実際はどうでしたか。

ホム: 大学に進学してから、勇気を出して行ってみたら、想像していたよりずっと話しやすく、また、日本の健康保険制度のおかげで、費用も安かったです。もっと早く行けばよかったと心から思いました。

ネパールでは病院は医療費が高く、普段から病院へ行く習慣はありませんでした。そういった文化の違いも、留学生の不安を大きくしている一因だと感じます。

――病院以外にも困った点はありましたか。

ホム: 辞めてしまうと次のアルバイト先がなかなか見つからなかったり、誰かの紹介がないと採用されなかったりして、アルバイト探しも大変でした。また、たくさん働きたくても、留学生ビザだと週28時間までしか働くことができません。

「置いといて」と「捨てておいて」——言葉の微妙な違いが生んだ勘違い

スーパーでアルバイトをしていた時、毎日同じ時間にゴミを捨てていたので、その日も「これを捨ててもいいですか?」と聞きました。いつもなら「いいよ」と言われるのですが、その日は、「置いといて」と言われたのです。

――日本語の難しさで苦労したエピソードがあれば教えてください。

ホム: 来日して1ヶ月くらいの頃、スーパーでアルバイトをしていた時の話です。毎日同じ時間にゴミを捨てていたので、その日もマネージャーに「これを捨ててもいいですか?」と聞きました。いつもなら「いいよ」と言われるのですが、その日は、「置いといて」と言われたんです。

――「置いといて」ですか。

ホム: はい。でも、「置いといて」と「捨てておいて」の音が似ているでしょう。それで、いつも通りに捨ててしまいました。それでマネージャーから「置いといてくれた?」と聞かれて「はい、捨てておきました。」と答えたのですが、かなり怒られてしまいました。笑

後で先輩に聞いたら、「置いといては、そのまま置いておくっていう意味だよ」と教えられて。言葉の微妙な違いで、大きな勘違いをしてしまった経験です。

――そうした経験も、日本語レベルを上げようというモチベーションになったのですね。

ホム: 日本で生活するうえで日本語能力は本当に大事です。日常や仕事の場面でのコミュニケーションはもちろんですが、JLPT(日本語能力試験)のN1やN2を取っていると受験や就職においても有利になります。私自身日本学校時代にJLPTの試験をもっと早く受けていればと後悔しています。

――日本で学ぶ学生たちに伝えていることはありますか。

学生に対しても「早く行動しなさい」といつも言っています。私たちの頃と違って、今は翻訳アプリやAIがあって便利ですが、その分、話す力が伸び悩んでいる学生もいます。文章は作れても、スピーキングが苦手な学生が増えている印象です。何でもネットで調べて終わりではなく、人と話す機会を積極的につくってほしいですね。

第4章:大学時代の試練——学費100万円と、見つからないアルバイト

東京の大学に進学したホムさん。しかし、学費は年間100万円以上、入学時に高価なパソコンも購入しなければならないのに、なかなかアルバイトが見つからない日々が続きました。

――日本に来て一番大変だった時期はいつですか。

ホム: はい。福岡の日本語学校で学び、その後、東京の大学に進学したのですが、大学時代は経済的に本当に厳しかったです。学費は年間100万円以上、入学時に高価なパソコンも購入しなければならないのに、なかなかアルバイトが見つからなくて。

――それは精神的にもつらいですね。

ホム: はい。採用面接で「日本語は大丈夫ですね」と言ってくれても、外国人ということもあってなのか、どこかで手続きが止まってしまうようで、採用手続きが進まない日々が続きました。そんな時に救われたのが、有名チェーンの居酒屋のアルバイトです。最終的に別の道に進むことになりましたが「人に教えるのがすごく上手」だと評価をいただき、外国人アルバイトなどに対する指導役として入社しないかと誘っていただいたのがうれしかったです。

第5章:遅刻の朝に差し出された、おにぎりとジュース

大学卒業後、知人からの誘いで佐賀の病院で働くことになりました。その病院の院長先生が、彼の人生に大きな影響を与えることになります。

――大学卒業後は、病院で働かれたのですよね。

ホム: はい。知人から「病院で働いてみないか」と誘われたんです。東京から佐賀県まで飛行機で面接を受けに行きました。

その病院の院長先生が、私の人生に大きな影響を与えてくれた方です。厳しい一面もある一方で、患者さんや外国人に対して本当に優しい人でした。

――何か印象的なエピソードはありますか。

ホム: 入社して間もない頃、一度だけ寝坊して遅刻してしまったことがあります。ネパールの家族と電話でいろいろ話していて疲れてしまい、朝7時の出勤なのに起きたのが9時でした。病院からの電話で飛び起きて、走って職場に着きました。

てっきり怒られると覚悟していたのですが、院長は私を呼んで、「はい、これ食べて。朝ごはん食べてないだろう」と、おにぎりとジュースを買ってきてくれたんです。「食べてから仕事に戻りなさい」と言われて。遅刻した事よりも、私の体を気遣ってくれ、本当に感動しました。その先生のことは今でも心から尊敬しています。

第6章:コロナ禍で学んだ「逆境の時こそ攻める」という経営哲学

2020年、コロナ禍が日本を襲いました。多くの病院が売上減少に苦しむ中、ホムさんが働く病院は逆に高額なレントゲン装置を導入するなど、設備投資を進めました。

――人生に大きな影響を与えてくれた院長先生の他のエピソードがあれば教えてください。

ホム: コロナ禍の時も、先生の判断はすごかったです。多くの病院が売上減少に苦しむ中、私たちの病院は逆に高額なレントゲン装置を導入するなど、設備投資をしました。患者さんに安心して来てもらえるように、すぐに検査を終えて帰れるようにする安全対策や換気扇なども増設したんです。

さらに、日曜日も診療を始めました。日曜日の診療は非常に珍しく、他の職員からは反対の声もあがりましたが、私が積極的に手を挙げ日曜日の受付を担当しました。その結果、他の病院が閉まっている日曜日に患者さんが集中し、病院は毎日350人もの患者さんで溢れるようになりました。逆境の時こそ攻める、という経営哲学を肌で学びました。

第7章:「正当な評価」がくれた、一番の達成感

経済的に苦しかった大学時代でしたが、大学の授業への出席や課題の提出に真面目に取り組んでいたホムさん。日本ではあたりまえのことが、一番の達成感の源泉となりました。

――日本に来て、一番嬉しかったこと、達成感があったのはどんな時ですか。

ホム: 大学2年生の時に成績優秀者として奨学金をもらえた時です。それから、大学1年生の春学期の成績が出た時も衝撃を受けました。試験の結果自体トップ層ではなかったのですが、授業や課題の提出等にしっかり取り組んでいたおかげで、ほとんどの科目で一番上のS評価を取ることができたんです。

ネパールでは、極端な話、一年間学校に行かなくても試験さえ受ければ評価されるような側面があります。もちろん全員ではありませんが、カンニング等の不正もあります。でも、日本の大学は出席率や授業態度、課題の提出状況など、プロセスを総合的に見て評価してくれます。

――結果だけではないのですね。

ホム: そうです。毎日学校に行く、課題をきちんと出すといった日々の努力が、きちんと評価に繋がる。そのシステムにすごく感動しました。

日本の社会でも、例えば飲食店だと現場をまず経験してから、優秀な人が店長等になるケースは多いと思います。努力した人が、プロセスも含めて正当に評価される。それが日本の素晴らしい点だと思いますし、私にとって一番の達成感でした。

第8章:42kmに込めた、自分ブランドづくり

フルマラソンへのチャレンジ。『最後までやり遂げることの意味を学べた』と語るその背景には、将来のビジネスシーンで自分らしさを示したいという強い思いがありました。

――ホムさんは最近、フルマラソンにも挑戦されたそうですね。

ホム: はい。5kmや10kmは走った経験がありましたが、ハーフマラソンに出場したことすら無い状況で、いきなりフルマラソンに申し込みました。周りからは「馬鹿じゃないの」と言われましたが、チャレンジしてみようと思いました。

――どういった背景でフルマラソンに挑戦されたのですか。

ホム: 将来、ビジネスで人と会う際、「大学を卒業しています」「日本語能力試験N1を持っています」という情報だけでなく、筋トレやマラソンの成果といった、自身のパーソナリティを示す要素を持ちたいと考えているためです。

――結果はいかがでしたか。

ホム: 5時間18分で完走できました。25kmまでは快調だったのですが、そこから急に足が動かなくなって。でも、周りのランナーもみんな苦しそうに走っているのを見て、「自分も走らないと」と奮い立たせました。

この5時間、ずっと「どうすれば完走できるか」だけを考えていました。何か目標を立てた時、最後までやり遂げることの精神的な意味を、マラソンを通じて学んだ気がします。

第9章:10人、15人を最後まで支える——「社長」になる夢

留学生として来日し、日本語学校や病院で働いた経験を持つホムさん。『自分の経験を、これからの人たちのために役立てたい』起業への挑戦が、彼の次なる目標です。

――最後に、ホムさんの将来の夢を教えてください。

ホム: 将来的には、起業にチャレンジしてみたいと考えています。

――どのような事業を考えていますか。

ホム: ネパールで優秀な人材を選抜して日本へ送り出す「送り出し機関」や、日本での人材紹介事業にチャレンジしたいです。ただ単に人を集めるのではなく、私が責任を持って選んだ10人、15人をしっかりとサポートして、彼らの夢を最後まで応援したい。

自分自身が留学生として来日し、大学を出て、病院と日本語学校で働いた経験があります。この経験は、他の誰にもない私の強みです。労災のこと、ビザのこと、学生が本当に困っていること。私が経験してきた全てを、これからの人たちのために役立てたい。それが私の夢です。

第2部:ネパール人留学生の課題と、その解決への道

第10章:ホムさんが語った、ネパール人留学生の「本当の困りごと」

ホムさんの物語を振り返ると、ネパール人留学生が日本で直面する課題が浮かび上がってきます。

医療への不安——問診票の書き方が分からない、症状をどう伝えればいいか迷ってしまう。健康保険の仕組みを理解できず、病院に行くこと自体をためらう留学生は少なくありません。

アルバイト探しの難しさ——留学生ビザには週28時間という制限があります。ひとつのアルバイトを辞めると、次の仕事がなかなか見つからない。紹介がなければ採用されにくい現実もあります。

日本語コミュニケーションの壁——「置いといて」と「捨てておいて」。そんな微妙な違いで、大きな誤解が生まれることも。

ホムさんが語ったように、「自分が困った経験があるからこそ、学生たちの悩みを解決する手助けがしたい」。その想いは、多くのネパール人留学生が抱える課題に寄り添い、未来への一歩を支える力になっています。

エピローグ:行動力と挑戦し続ける精神——そして、次の世代へ

ホムさんのように日本でキャリアを切り開く存在は、同じ夢を持つ多くの仲間にとって大きな刺激となるでしょう。彼の「行動力」と「挑戦し続ける精神」には、筆者自身も深く感銘を受けました。インタビューでは、日本生活の苦労やキャリア形成、そして将来のビジョンについて語っていただきました。

ホムさんの物語は、外国人との共生を目指す企業にとって大きな可能性を示してくれています。適切なサポートがあれば、彼らは日本企業にとって、そして日本社会にとって、かけがえのない存在となるのではないでしょうか。 そして、ホムさんのような経験を持つ人材が、ネパールと日本を橋渡しする存在として活躍する——その可能性は、今まさに現実のものとなろうとしています。

ネパールの方たちと日本企業をつなぐ取り組みとして、南海電気鉄道が運営するJapal(ジャパール)では、IT/CAD分野を中心とした海外人材のご紹介と、入国手続きや住環境の整備、日本企業への定着を支援しています。ご関心のある方は、Japal(ジャパール)のウェブサイトをご覧ください。